「怒ってばかりでごめんね」と、自分を責めてしまう夜に知りたい仏教の言葉

子育て

すやすやと眠る子どもの寝顔を見ながら、「ああ、今日もまた怒りすぎちゃったな……」と小さくため息をつく。 育児中のパパやママなら、そんなふうに夜のベッドで自己嫌悪に陥った経験が、一度や二度は必ずあるのではないでしょうか。

「いつも笑顔の、やさしい親でいたい」

そう思って育児書を読んだり、SNSを見たりしているのに、現実はそう上手くはいきません。

子どもがコップのふざけて牛乳をこぼしたり、お風呂に入るのを泣いて嫌がったりすると、ついカッとなって大きな声を出してしまう。

「他の家はもっと穏やかにやっているのに」

「こんなにイライラしていては、この子の心に悪い影響があるのではないか」

そんな不安とプレッシャーで、身と心がすり減ってしまうこともあるでしょう。

そんな「きれいごとでは済まない」子育ての毎日に寄り添ってくれるのが

「泥中之蓮(でいちゅうのはす)」という言葉です。

蓮(ハス)は、極楽浄土に咲く仏教を象徴する花として、お寺の池などによく咲いています。この蓮の花には、とても不思議な特徴があります。

それは、「綺麗で澄み切った水の中では、小さな花しか咲かせられない」ということです。ドロドロの泥水の中で深く根を張り、その汚れた泥の養分をたっぷりと吸い上げることで初めて、ふっくらとした美しい大輪の花を咲かせることができるのです。

この自然の景色は、「理想通りにはいかない人間関係や、泥臭い日々の悩みの中にこそ、やがて美しい悟り(幸せ)が花開く」という仏教の大切な教えを表しています。

これを毎日の子育てに置き換えてみましょう。

私たちがつい目指してしまう「一度も怒らず、部屋も散らからず、常にニコニコしている理想の育児」は、いわば「澄んだ水」です。

けれども実際の子育ては、ご飯を投げられたり、スーパーの床で泣き叫ばれたり、親も感情を爆発させてしまったりと、まさに汗と涙の「泥んこ」のような毎日です。

でも、それでいいと仏教は教えてくれます。

親が悩んだり、感情をぶつけ合ったり、時には失敗して「さっきは怒ってごめんね」と抱きしめ直したりする。

その泥臭いやり取りの繰り返しこそが、子どもが人間らしさや人の痛みを学ぶための「極上の泥(心の栄養)」になるからです。

「また感情的に怒ってしまった」とあなたが悩むのは、それだけ真剣に子どもと向き合い、泥だらけになりながら踏ん張っている証拠なのです。

もし今夜、子どもの寝顔を見て「ダメな親でごめんね」と不安が押し寄せてきたら、どうかこれ以上、ご自身を責めないでください。

「今日もたくさん泥まみれになったから、きっと大きな花が咲くね」

そんなふうに心の中でつぶやいて、温かいお茶でも飲みながら、どうかご自身の心をやさしく休ませてあげてくださいね。

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