「将来の夢は何ですか?」
子どもの頃、学校の作文や親戚の集まりでそう聞かれて、言葉に詰まってしまった経験はありませんか。
自分が親の立場になると、「子どもには好きなことを見つけて、大きな夢を持って生きてほしい」と願うものです。しかし、いざ子どもに「将来何になりたいの?」と聞いて、「特にやりたいことなんてない」「わからない」と返ってくると、親としては「このままで大丈夫だろうか」と不安になってしまうかもしれません。
現代社会では、「夢や目標を持つこと」が無条件に素晴らしいことだとされています。
「あなただけの個性を活かして、立派な大人になりなさい」というメッセージがあふれている社会。
そこでは「夢に向かって頑張る子」が理想とされる一方で、「夢がないこと」はまるで意欲がないことのように見られがちです。
その結果、大人からの無意識の期待がプレッシャーとなり、子ども自身が「立派な夢がない自分はダメなんだ」と自己嫌悪に陥ってしまうことも少なくありません。
そんな、「夢や目標を持たねば」と焦る私たちの心をそっと軽くしてくれるのが、
「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」という仏教の言葉です。

これはお釈迦様が誕生したときに残したとされる有名な言葉です。
アニメや漫画などで「自分が一番偉いんだぞ」と威張るような意味で使われることもありますが、本来の意味はまったく違います。
この言葉の本当の意味は、「天の上にも下にも、あなたという存在はたった一人。だからこそ、誰かと比べるまでもなく、ただ生きているだけでかけがえがなく尊いのだ」という教えなのです。
この教えを現代の生活に置き換えてみると、どうでしょうか。
私たちはつい、「立派な夢を持っているから」「勉強ができるから」「特技があるから」素晴らしいのだと、何かしらの条件を付け足して人の価値を測ってしまいがちです。
しかし仏教の視点から見れば、わかりやすい「夢」という飾りを持っていようがいまいが、その子の命の価値は1ミリも変わりません。親が「夢を見つけてほしい」と願うのは深い愛情ゆえですが、時としてそれが「夢を持たないと価値がない」という無意識の思い込み(執着)に変わっていないか、少し立ち止まってみることも大切です。
子どもが「やりたいことがない」と言うとき、それは単に、目の前のことに夢中だからかもしれません。
今日のご飯が美味しかったこと。道でおかしな形の石を見つけたこと。友達とくだらないことで大笑いしたこと。
彼らは遠い「未来」を探すより、「今、ここ」を全力で生きているだけなのです。
「それが将来何の役に立つのか」「立派な職業につながるのか」という大人の効率的な物差しは、いったん横に置いてみましょう。
まだ見ぬ「大きな夢」を無理に探させるよりも、今日元気に「ただいま」と帰ってきたことを一緒に喜ぶ。実はその「無条件に受け入れられている」という安心感こそが、子どもが将来、その子らしい足取りで歩んでいくための一番のエネルギーになります。

子どもに「将来の夢」がなくても、焦る必要は少しもありません。 無理に夢という名の重い荷物を背負わせるのではなく、「今、目の前で笑ってくれていること」の尊さをまずは味わってみる。
親である私たち大人が少し肩の力を抜くことで、子どももきっと、もっと安心して自分の道を歩んでいけるのではないでしょうか。


