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外と家とで、子どもの顔は違いますか

子育て

休日のダンスのイベントでした。

衣装を着替えるタイミングで、ほかの子どもたちの何人かは、もう着替えていました。下の子と友だちの二人は、まだ着替えていないように見えました。

二人は、出店を見て回りたくて、速足で歩いていました。

「次の出番は?」「着替えなくていいん?」

そう聞くと、返ってきたのがこれでした。

「も~わかってるから」

友だちの手前だったのかもしれません。小学四年生の、下の子です。

質問の形にしても、本当は指示したかった

親から見ると、疑問文にして話してはいます。でも、本当は指示したい気持ちです。

その気持ちを抑えて、言葉を選んでいました。

前の記事で、言葉を慎重に選ぶうちに、まっすぐ言えなくなっていた、と書きました。ここでも、言葉を選んでいたことになります。

外と家とで、あまり顔の変わらない子たち

うちの子たちは、外と家とで、それほど顔が違わないと思っています。上の子も、下の子もです。

ただ最近、下の子が四年生になって、外で「も~わかってるから」が出てくるようになりました。

家の中でも、心の中では反発があるように思っています。外では、それがより強く出ているのかもしれません。

下の子が、親の言葉をすんなりとは受け入れず、流すようになってきたことは、前の記事にも書きました。

上の子は、変わりありません。

人前では「やだー」と逃げる娘さんが、隣で眠っていた

お笑いコンビ・パンサーの尾形貴弘さんの妻、あいさんが、インスタグラムにこんなことを書いていました。

最近は人前だと全然パパに近づかないし、パパがギューしようとしても『やだー!』って逃げていく。笑

長女のさくらちゃんのことです。日に日に反抗期になってきた、と。

一緒に載せたのは、そのパパと娘さんが並んで眠る写真でした。

ファンからは「なんて微笑ましい」「見た目も性格もそっくり」という声が寄せられたそうです。

人前の顔と、家の顔。尾形さんの家でも、違っているようです。

『方丈記』の書き出し

八百年ほど前、鴨長明(かものちょうめい)が書いた『方丈記』は、こう始まります。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

川の流れは、絶えることがない。それでいて、流れている水は、もとの水ではない。

このあと、淀みに浮かぶ泡も、消えてはでき、できては消えて、長くとどまっているものはない、と続きます。

『方丈記』は鎌倉時代の随筆で、移り変わっていくもののはかなさを書いた作品です。『枕草子』『徒然草』と並べて、三大随筆と呼ばれています。

題の「方丈」は、一丈(約三メートル)四方のこと。長明が晩年に暮らした、小さな庵の広さです。

今日は、この書き出しの一文だけを借ります。

川はその子、反抗期の一言はその日の水

この一文を、子どもに当てはめて読んでみます。

川は、その子そのもの。水は、その日その日の様子です。

川は、いつも同じところを流れています。でも、流れている水は、毎日入れ替わっています。

あの日の「も~わかってるから」は、友だちと出店に向かう途中に流れていた水です。川そのものが変わったわけではありません。

家の中では見えにくい水が、外では見えている。そう考えると、外で強く出ることにも、少し納得がいきます。

上の子は、変わりありません。

それでも方丈記の言い方を借りれば、流れている水は、毎日新しい水です。変わらないように見えるのは、川が同じだからだと思います。

尾形さんの娘さんも、人前で逃げる日の水と、パパの隣で眠る夜の水が、同じ川を流れています。

外での一言で、その子を決めない

明日ひとつだけ、試してみてください。

外で突き放す一言を言われても、その一言で、その子のことを決めない。

「いま流れている水だ」と思って、いったん流す。それだけです。

突き放す一言は、言われた側に残ります。でも、その一言で決めてしまうと、次の日の様子まで、同じに見えてしまいます。

川は、まだ同じところを流れています。


上の子は変わりなし。下の子は、外でだけ少し強く出る。

同じ家の中でも、水の流れ方は、それぞれです。

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