研修の会場には、予定より早く着きました。
先にお店へ寄ると、見覚えのある二人がいました。数日前に、岡山で会ったばかりのお客様です。
そして、岡山で話に出た鳩サブレとタコせんべいを、私へのおみやげに用意してくれていました。
前の日に、講義まで頼まれていた
その日は、神奈川県にあるお客様の施設で、現地のスタッフの方に向けた研修をする日でした。
話をするのは、一時間半。資料は前もって作っていましたが、話すのは別の人の予定でした。
ところが前の日になって、急に、講義の方もお願いされました。
岡山から神奈川県へ行くだけでも、列車が遅れないか、会場までの道は分かるか、気がかりなことがあります。そのうえ、講義までしなくてはならない。
不安なまま、当日を迎えました。
岡山で「鳩サブレがおいしいよ」と聞いた夜
その数日前の金曜日。岡山に、お客様を招いていました。
昼は会社を見ていただき、夜は懇親会です。神奈川県の出身の方や、埼玉県の方もいました。
なかなか話す機会のない方たちです。せっかく来てくれたのだから、岡山をよい思い出にしてもらいたい。そう思って、いろいろと話を振りました。
その中で、神奈川県の方が言っていたのが、「鳩サブレがおいしいよ」という話でした。
たった二回の出会いで、こんなにうれしい
会ったのは、岡山の夜と、この日の二回だけです。
それでも、あの夜に話していたお菓子を、ちゃんと覚えていて、買っておいてくれた。
緊張していたこともあって、うれしさがすごくありました。
研修は、無事に終えることができました。四時間ほどの滞在を終えて、神奈川県をあとにしました。
研修がうまくいったことも、もちろんうれしかった。でもそれ以上に、おみやげを用意してくれていた心遣いが、うれしかったのです。
道元が書いた「贈り物」の話
鎌倉時代の禅僧、道元に、『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』という書物があります。
その中の「菩提薩埵四摂法(ぼだいさったししょうぼう)」という巻に、人とともに生きるための、四つの行いが書かれています。
贈ること(布施)。やさしい言葉をかけること(愛語)。相手のためになることをすること(利行)。相手と同じ立場に立つこと(同事)。
その一つ目の「布施(ふせ)」について、道元は、こんな意味のことを書いています
贈り物は、どんなに小さくてもかまわない。ただ、その心は本物であるべきだ。
そして、贈る人の心は、ひそかに相手に届く、とも書いています。
贈ることも、受け取ることも、人と人とをつなぐ。そういう意味のことも、同じ巻にあります。
贈り物の大きさではなく、心が本物かどうか。
おみやげの中身は、あの夜の会話だった
鳩サブレもタコせんべいも、高価なものではありません。
でも、その中に入っていたのは、お菓子だけではなかったと思います。
岡山の夜に交わした会話を覚えていてくれたこと。研修の日に、わざわざ買って待っていてくれたこと。その心が、ひそかに、でもまっすぐに届きました。
岡山をよい思い出にしてほしいと思って話を振ったのは、私のほうでした。
四つの行いで言えば、あの夜の私は、やさしい言葉をかける「愛語」のほうにいたのかもしれません。
そう考えると、あの夜の会話が、数日後、神奈川県のお店で、おみやげになって返ってきた、と見ることもできます。
相手の話を、ひとつだけ覚えておく
明日ひとつだけ、試してみてください。
相手が話してくれたことを、ひとつだけ覚えておく。
好きなお菓子、子どもの部活、週末の予定。次に会ったとき、その話をひとつ返すだけで、相手には届きます。
贈り物は、小さくてかまいません。覚えていた、という心が、いちばんの中身です。
緊張していた朝に受け取った、鳩サブレとタコせんべい。
研修のことよりも、あの心遣いが、いまも心に残っています。

