広島で十八年。県外の大学で四年。そして、岡山で二十年。
故郷といえば、広島です。でも、暮らした年数は、岡山のほうが長くなりました。
三つの町で過ごした時間
広島で暮らしたのは、高校を出るまでです。
広島には、広島カープやサンフレッチェ広島があります。野球でもサッカーでも、人気の高いクラブがある町です。
大学は、県外の大学に進みました。
その四年間は、人生でいちばん自由だったと思います。いろいろな出会いや経験があって、人としての幅が広がりました。
そして、岡山。ここでの想い出を数えてみます。
結婚したこと。マイホームを決めたこと。住み始めたころの気持ち。子どもが生まれて、大きくなってきた実感。
どれも、家族のことばかりです。
スタジアムで、岡山の勢いを感じた日
岡山には、ファジアーノ岡山というサッカークラブがあります。J2に加わったのは、二〇〇九年です。
二〇二二年、まだJ2だったころに、子どもたちとスタジアムへ応援に行きました。
応援して、すごく楽しかった。岡山の勢いを感じて、J1に上がってほしいと願いました。
この年、ファジアーノ岡山はJ2で三位に入り、J1をかけたプレーオフに進みました。けれど、最初の試合で敗れています。
翌年は、チケットが取れずに行けませんでした。それでも、昇格の可能性は早くから追っていました。
そして、二〇二四年の十二月。J1昇格をかけたプレーオフの決勝で、ベガルタ仙台に勝ちました。
J2で戦って、十六シーズン目。クラブとして初めての、J1昇格です。
家族みんなで喜びました。
「私には故郷がたくさんある」
タレントのつるの剛士さんが、インスタグラムにこう書いていました。
父親が銀行員だったこともあり、北九州、広島、大阪、東京、、(現在は神奈川 藤沢)と、私には故郷がたくさんある
並んだ町のなかに、広島も入っています。
小学六年で転校した先で出会った友だちとは、中学も高校もその後も、一緒に過ごしてきたそうです。
いまも一緒に仕事をしていて、来年で、出会って四十年になります。
「此の心安んずる処、是れ吾が郷」
中国の宋の時代に、蘇軾(そしょく)という詩人がいました。蘇東坡(そとうば)の名でも知られています。
蘇軾が罪に問われた事件のとばっちりで、友人の王鞏(おうきょう)が、都から遠い南の地へ流されました。
そこに付き添ったのが、柔奴(じゅうど)という女性です。
何年かたって都へ戻ってきたとき、蘇軾は柔奴に聞きました。南の地は、さぞひどいところだったろう、と。
柔奴は、こう答えたそうです。
此の心安んずる処、是れ吾が郷
心が落ち着くところ、そこが私の故郷です。
蘇軾はこの答えに心を動かされ、詞(し)という歌の形に書き残しました。もとは、柔奴の言葉です。
蘇軾自身も、のちに、南の恵州(けいしゅう)、さらに海を渡った海南島へと流されています。
住めば、そこに想い出ができる
住めば、そこに想い出ができる。想い出ができると、その町が好きになる。そうやって、その町が故郷になっていく。
この感覚には、すごく共感します。
生まれ育った町を離れて、別の町で子育てをしている人も、多いと思います。
柔奴にとって、南の地は、つらい場所のはずでした。それでも、心が落ち着くところが故郷だ、と答えています。
故郷は、生まれた場所の数ではなく、心が落ち着いた場所の数なのかもしれません。
広島は、生まれ育った故郷です。
そして岡山も、結婚や、家や、子どもや、スタジアムの想い出が積み重なって、もうひとつの故郷になってきたのだと思います。
いまの町の想い出を、ひとつ増やす
明日ひとつだけ、試してみてください。
いま住んでいる町の想い出を、家族でひとつ増やす。
町のチームの試合でも、近所のお祭りでも、まだ行ったことのない場所でもかまいません。
転勤や引っ越しの多い家なら、なおさらです。住んだ町の数だけ、故郷を増やせます。
岡山が、もっともっと元気になってほしいと思っています。
そう思えるのが、たぶん、故郷になったしるしです。

