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二か月やめられたビールを、また飲んでいます

雑学・学び

仕事上がりの、ビール一缶。

やめようと思っているのに、やめられないもの。私の場合は、これです。

お酒が体によくないことは、科学的にも言われています。分かっています。それでも、飲みたくなる。

六月から八月までの二か月は、お酒をやめられていました。でも、いまはまた飲んでいます。

「今日はX禁止」と決めた夜に

先日、タレントの山之内すずさんが、X(旧Twitter)にこんな投稿をしていました。

「頭がごちゃつくから今日ツイッター禁止にしようと思ってたのにまた開いてる」

そのあとで、「もう見ない!!バイバイ!」と宣言したそうです。

禁止にしようと決めたXのことを、Xに書いている。仕事上がりの一缶と、形がよく似ています。

「捨ててしまえ」と言われた僧

禅の問答を集めた『従容録(しょうようろく)』という本に、こんな話があります。

『従容録』は、十三世紀の中国で、万松行秀(ばんしょうぎょうしゅう)という禅僧がまとめた本です。日本の曹洞宗でも、大切に読まれてきました。

その中の一つ。唐の時代の禅僧、趙州(じょうしゅう)のもとに、厳陽(げんよう)という僧がやってきました。趙州は、百二十歳まで生きたと伝えられる人です。

意味をとると、こんなやりとりです。

厳陽「何ひとつ持たずに来ました。このあと、どうしたらよいでしょう」

趙州「放下著(ほうげじゃく)」

放下著は、「捨ててしまえ」という意味です。厳陽は、戸惑って聞き返します。

厳陽「何も持っていないのに、何を捨てるのですか」

趙州「それなら、担いで帰れ」

握っていたのは、何だったのか

厳陽は、たしかに何も持っていませんでした。でも、「私は何も持っていない」という思いだけは、しっかり握っていた。

ここからは私の受け取り方ですが、趙州が「捨ててしまえ」と言ったのは、その思いのほうです。

「それなら、担いで帰れ」は、まだ握っているなら、持って帰るしかない、という意味に取れます。握っているものは、握っている本人にはいちばん見えにくい。

山之内さんの投稿も、そう読めます。握っていたのは、Xより先に、「禁止にしなきゃ」という思いでした。

仕事上がりの一缶も、同じです。「飲んではいけない」と握りしめるほど、頭の中は、ずっと一缶のことでいっぱいになります。

飲んでいい、という話ではありません

厚生労働省は二〇二四年二月に、「健康に配慮した飲酒に関するガイドライン」を公表しています。お酒が体に与える影響は、国としても示されています。

放下著は、「好きにしていい」という意味ではありません。手放すのは、ビールを飲むかどうかの判断ではなく、それを握りしめている手のほうです。

二か月は、たしかにありました

また飲むようになってから、「結局、やめられなかった」と思うことがあります。

でも、そう数えると、六月から八月までの二か月が、なかったことになってしまいます。

二か月、やめられた。いまは、また飲んでいる。どちらも、本当のことです。

片方だけを握りしめて、もう片方を消さなくていい。

やめられなかった夜に、「またやった」を足さない

明日ひとつだけ、試してみてください。

やめられなかった夜に、「またやった」の一言を足さない。

やめたいことは、やめたいままでいい。ただ、自分を責める一言まで、担いで帰らなくていい。


やめたい気持ちも、飲みたい気持ちも、どちらも本当です。

ただ、「またやった」の一言だけは、今日、ここに置いていきます。

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