引き受けた仕事を、終わらせました。
返ってきたのは「ありがとうございます」の一行です。そしてすぐ、次のものが来ました。
それでいいはずなのに、夜になると少し引っかかります。
私は、信用されているんでしょうか。確かめる方法が、どこにもありません。
五十年越しの約束が、今日ひらきます
俳優の市村正親さんと、脚本・演出の渡辺えりさんが、新しいミュージカルを作りました。今日が初日だそうです。
二人は舞台芸術学院の先輩と後輩でした。互いの才能を認め合っていたのに、道は一度も交わらなかったそうです。
「いつか一緒にやろう」。その約束から、五十年が経っていました。
諺(ことわざ)を作ったのは、季布ではありません
『史記』に、季布(きふ)という武将が出てきます。紀元前三世紀の楚の人です。
引き受けたことは必ず実行する人で、こんな諺が残っています。
楚人の諺に曰く、黄金百斤を得るは、季布の一諾を得るに如かず
黄金百斤を手に入れるより、季布が「うん」とひとこと言ってくれるほうがいい。
読み返すと、書き出しに引っかかります。「楚人の諺に曰く」。
これは季布の言葉ではありません。周りの人が勝手に言い出したことを、司馬遷が書き留めているだけです。
季布は自分の評判を、ひとつも作っていません。やったのは、引き受けたことをやる。それだけです。
名前をつけたのは、周りのほうでした。
名前をつけるのは、いつも他人です
冒頭の引っかかりに戻ります。
「信用されているんだろうか」。この問いが苦しいのは、答えを持っている人が自分ではないからです。
いくら考えても出ません。相手の頭の中にしかないので。
季布も、たぶん同じでした。自分が諺になっているとは知らなかったかもしれません。知っていたとしても、それは自分で作ったものではない。
信用は、成果物ではありません。他人の側で起きる出来事です。
こちらの手元にあるのは、ひとつだけです。
引き受けたかどうか。やったかどうか。それだけです。
今日、ひとつだけ
今日ひとつだけ、してみてほしいことがあります。
「信用されているかな」と思ったら、そこで考えるのをやめて、小さい約束をひとつ果たす。
返事をしていないメッセージに返す。今日出すと言った書類を出す。子どもに「あとでね」と言ったことを、いまやる。
大きいものでなくていいです。考えても出ない問いから、出る問いへ移るだけです。
信用されているかどうかは、たぶん一生確かめられません。
でも、引き受けたことをやったかどうかは、今日わかります。
五十年経ってから開く舞台があります。その間、二人が何を思っていたのかは分かりません。
分かるのは、今日ひらいた、ということだけです。


