テーブルで折り紙をしていた子が、急に両手でかぶせて隠しました。
「まだ見ないで」
さっきまでは、横で見ていてよかったはずなんですが。あるところから急に、見せてくれなくなります。
そういうものか、と思って、席を立ちました。
予告のいちばん最後で、姿は出てきません
映画『ゴジラ-0.0』の予告編が、おとといの夜にYouTubeで公開されました。山崎貴さんが監督・脚本・VFXを担当していて、公開は十一月三日だそうです。
海外版のほうは、翌日の昼の時点で424万回再生されています。半日ほどで、です。
反響が集中したのは、映像のいちばん最後でした。咆哮だけが鳴って、姿は映りません。
海外のファンが「これ、あいつじゃないか」と沸きました。まだ誰も、見ていないのにです。
「秘すれば花」は、精神論ではありません
六百年前、世阿弥が『風姿花伝』にこう書いています。
秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず
秘めておくから花になる。見せてしまえば、花ではなくなる。ここでいう「花」は、面白さ・珍しさ・値打ちのことです。
明かしてしまえば大したことのないものでも、秘すという行為そのものが値打ちを生む。
隠せば神秘的になる、という話ではないわけです。世阿弥にとってこれは、勝負に勝つための演出の技術でした。
当てにいってしまうのは、こちらです
折り紙の子は、誰にも教わっていません。
それでも「まだ見ないで」と言います。完成してから見せたほうがいい、と、どこかで知っている。
「これ、お花?」「あ、分かった、ケーキでしょ」。作っている途中で、つい当てにいく。
当ててしまうと、その子が最後に見せるはずだった顔は、もう出てきません。見せる前に、こちらが開けてしまったので。
「まだ見ないで」は、わがままではなく、花を守っているのかもしれません。
今日、ひとつだけ
今日ひとつだけ、してみてほしいことがあります。
子どもが「まだ見ないで」と言ったら、本当に見ないで待つ。
覗かない。当てない。「もういい?」も、なるべく言わない。
待っているあいだは、たぶん退屈です。洗い物でもしていてください。
その数分が、あとから出てくる顔の値打ちを作っています。世阿弥に言わせれば、待っているあいだに花のほうが育っているので。
『ゴジラ-0.0』の公開は、十一月三日だそうです。
それまでの二か月弱、あの咆哮が誰のものか、みんなで言い合うことになります。
たぶん、いちばん面白いのは、そこです。


