昼のそうめんを片づけながら、つけっぱなしのテレビで甲子園の決勝が流れていました。
同点の八回裏。手は水の中で、画面のほうは半分も見ていません。
そのうち歓声が上がって、試合が終わっていました。どうやって決まったのかは、あとから調べました。
そして、少し驚きました。
「縁起がいい」の縁起は、もともと占いの言葉ではありません
その話をする前に、ひとつ言葉のことを。
「縁起がいい」「縁起でもない」の縁起(えんぎ)は、もともと占いや、吉凶の前ぶれを指す言葉ではありません。
仏教の言葉です。正しくは因縁生起(いんねんしょうき)といって、それを縮めたのが縁起。
意味は「これがあるから、これがある」。
ものごとはどれも単独では起きなくて、必ず何かとの関係の中で起きる。原因がひとつだけ、ということはない。仏教はそう考えます。
甲子園の決勝、日本一を決めた一点は、バッターが空振りして入った
今日の試合が、ちょうどそれでした。
八月二十二日、智弁和歌山が健大高崎を四対三で下して、五年ぶりに優勝しました。
決勝点が入ったのは八回裏です。三対三の同点、ランナーは一塁と三塁。打席の選手は、空振りの三振でした。
ただ、その球が捕手の後ろへ逸れました。三塁ランナーが還って、四対三です。
同点に追いついた一点も、スクイズ(バントで走者を還す作戦)でした。その前は代打の送りバント。自分がアウトになるための打席です。さらに前はぽとりと落ちたヒットで、その前はデッドボール。
優勝を決めた回に、会心の一打は一本もありません。
この試合でいちばん華やかだったのは、その直前、八回表に出た逆転ツーランホームランでした。打ったのは、負けたほうのチームです。
「今日は何もできなかった」の日も、点は入っている
夕飯が買ってきたお惣菜だった日があります。
下の子に怒鳴って、上の子の話を最後まで聞かなかった日も。寝かしつけたあとに、今日は何もしていないな、と思う日も。
縁起の見方でいくと、その日も効いています。
三振でも点は入ります。ぶつけられただけでも、ランナーは進みます。バントで自分がアウトになった打席が、三十分後の一点をつくります。
そして、逆も言えます。
「あのとき、ああ言ったのが良くなかったんじゃないか」と思い返す夜があります。でも、ひとつの言葉が子どもを決めているわけではありません。
決めた一打が無いのなら、決めた失敗も無い。
今日ひとつだけ ——今日あったことを、ひとつ思い出す
今日を採点しないで済む方法が、ひとつあります。
「ちゃんとやれたこと」を探すのをやめて、ただ「あったこと」をひとつ思い出す。
麦茶をこぼして、二人で拭いた。セミの抜け殻を持って帰ってきて、玄関に置かれた。そうめんのつゆを飲み干して、しょっぱいと言っていた。
良かったことでなくて構いません。点数のつかないことのほうが、向いています。
それは今日しか無かったことで、明日の何かとつながっています。つながり方は、まだ誰にも分かりません。
決勝点を入れた選手は、三振をしています。
たぶんこの先ずっと、あの三振で日本一になったと言われ続けます。空振りしたことは、変わらないのに。
洗い物は、まだ半分残っています。


