PR

善い友がいない時期は、ひとりで歩けばいい

雑学・学び

お盆や正月に広島へ帰ると、地元の友人と釣りに行くことがあります。

子どものころは、自転車で近くの川へ行って、釣りをしていました。いまは車で海まで行って、船に乗って釣りをします。

自転車が車になって、川が海になった。自分たちの成長を感じました。

地元の友人と、暮らしの話が重ならなくなった

ただ、会って話していても、話の広がりは、あまり感じませんでした。話題は、昔話や仕事の不満が多かったように思います。

地元の友人は、故郷を出たことのない人たちで、独身の人ばかりです。

結婚しているか、独身かで、会話の中身は大きく変わります。子どもの話ができないのも、難しいと感じました。

どちらが良い悪いではなく、暮らしの話題が重ならなくなった、ということだと思います。

子どものころの話には、花が咲きます。懐かしい。でも同時に、いまとのずれを感じる自分もいました。

距離が遠いことも重なって、少しずつ、合わなくなっていきました。

年賀状じまいのあと、友人の近況が分からなくなった

県外の大学で出会った友人たちは、日本のあちこちに散りました。距離もあって、連絡を取らなくなりました。

年賀状をやりとりしていたころは、結婚や出産を知ることができました。

年賀状じまいをして、五年ほどになります。いまは、それも分からなくなりました。

SNSのプロフィールのアイコンに子どもが写っていると、「家庭があるんだな」と思う。それくらいです。

「いいね」もしていません。どの友人も、あまり投稿しないのです。

いまの私に、善い友と呼べる人は、いません。

いまの時代、善い友を得るのは簡単ではないと、しみじみ感じます。

五十歳で「今日も会えてうれしい」と言える相方

先日、こんなニュースがありました。

お笑いコンビ、アンガールズの田中卓志さんと山根良顕さん。二人とも、五十歳です。

十月八日、ガシャポンの五十周年の発表会に出た田中さんは、「山根への愛が進化している」と話しています。

昔は、楽屋で山根さんがザーサイを食べる、コリコリという音が嫌でしょうがなかった。

いまは漬物のポリポリという音がしても、「かわいい音鳴らすな」と思うようになったそうです。

今日も山根に会えて本当にうれしいし(笑)。現場が一緒にならないときは、いないなぁって思います(笑)

コンビは、組んだばかりのころは仲が良くて、しばらくすると険悪になる。

そしてまた、「やっぱりこいつだな」となる。いまは、その時期に入っているそうです。

五十歳で、こう言える相方がいる。正直に言うと、少し羨ましくなりました。

善い友は、仏の道の「半分」ではなく「すべて」

仏教には、「善知識(ぜんちしき)」という言葉があります。

正しい道へ導いてくれる、善い友や善い師のことです。もともとの「知識」は、知り合いや友人という意味でした。

古い経典に、こんな場面があります。

弟子のアーナンダ(阿難)が、お釈迦さまに言いました。善い友、善い仲間、善い交わりがあることは、仏の道の半分にあたります、と。

お釈迦さまは、こう答えたと伝わります(意訳)。

そう言ってはいけない、アーナンダ。善い友、善い仲間、善い交わりは、道の半分ではない。道のすべてである。

善い友がいる人は、正しい道を歩んでいける。経典は、そう続きます。

善い友は、道の半分ではなく、すべて。

善い道連れが得られなければ、ただ独り歩め

地元を離れて子育てをしている人の中には、同じように感じている人もいると思います。「善い友は、すべて」と聞いて、少し心細くなるかもしれません。

ところが、仏教の古い経典『スッタニパータ』には、こんな一節もあります(意訳)。

ともに歩める、思慮深い道連れが得られたなら、喜んで、その人と歩め。
得られなければ、ただ独り歩め。

この経は、「犀(さい)の角のように、ただ独り歩め」という言葉を、何度もくり返します。

「犀の角」は、インドのサイの、一本の角のことです。群れずに、自分の足で歩く姿のたとえです。

古い教えは、善い友がいつもそばにいるとは、考えていなかったのかもしれません。得られないときの歩き方まで、ちゃんと書いてあるのですから。

地元の友人とは、暮らしの道が分かれました。大学の友人とは、住む場所が分かれました。

善い友がいないのは、誰かが悪かったからではなく、歩く道が分かれたから。そう考えることも、できると思います。

会えなくなった友だちを、「なくしたもの」に数えない

明日ひとつだけ、試してみてください。

会えなくなった友だちを、「なくしたもの」に数えない。

道が分かれた友だちは、なくしたわけではありません。自転車で川へ向かった日も、船で海に出た日も、なくなってはいません。

SNSで昔の友だちのアイコンを見かけたら、「家庭があるんだな」と思うくらいで、十分です。


五十歳になっても「今日も会えてうれしい」と言える二人が、やっぱり、少し羨ましいです。

自転車で川へ向かったころの友人たちのことは、いまも懐かしく思っています。

タイトルとURLをコピーしました