せっかくの休日なのに、「何かしないと」と焦ってしまうのはなぜか?

雑学・学び

金曜日の夜は「休日はあれもこれもやろう」と意気込んでいたのに、気がつけば日曜日の夕方。

特に生産的なこともせず、ただ動画を見て寝ていただけ……。

そんな自分に、「また無駄な時間を過ごしてしまった」と自己嫌悪を抱いてしまうことはありませんか?

しっかり休めたはずなのに、なぜか心に「もったいないことをした」という罪悪感が残ってしまう。

それは、現代に生きる私たちの多くが抱える共通の悩みかもしれません。

現代社会は、「時間を有効に使うこと」がよしとされる時代です。

SNSを開けば、休日にスキルアップのための勉強をしている人や、おしゃれなカフェで充実した時間を過ごしている人の姿が目に入ってきます。

私たちは無意識のうちに「休んでいる間も、自分を成長させたり、有意義なことをしなければならない」と思い込んでしまっているのかもしれません。

常に予定を詰め込み、「何もしていない=ダメなこと」と焦りを感じてしまう。いわば、私たちは「何もしないこと」がとても苦手になっているのです。

こうした「何か意味のあることをしなければ」という焦りに、一つのヒントをくれるのが、禅の教えにある「只管打坐(しかんたざ)」という言葉です。

これは、鎌倉時代に道元(どうげん)というお坊さんが伝えた教えで、漢字の通り「ただ、ひたすらに、坐る(座禅を組む)」という意味を持っています。

座禅と聞くと、何か悟りを開く目的であるとか、精神を鍛える修行のように思えるかもしれません。しかし、道元は

「座禅の先に何かを求めてはいけない」

「ただ坐ること、そのものが仏の行いである」と説きました。

つまり、何か目的を達成するための手段として座るのではなく、「今のただ何もしない状態」を完全に味わい尽くすことが大切だというのです。

これを私たちの休日の過ごし方に置き換えてみると、どうでしょうか。 「休んで体力を回復させる」「ストレスを発散する」といった目的すら一旦手放して、「ただ、ゆっくりする」時間を持ってみるということです。

ベッドでゴロゴロしているなら、「ただ、気持ちよくゴロゴロする」ことに100%集中する。

動画を見ているなら、「ただ、笑って動画を見る」時間を味わう。

「何かのために生きる」モードから、しだいに「ただ、いまここで過ごしている」モードへと、心と体を切り替えていくのです。

休日の午後、もし「このままでいいのかな」と焦る気持ちが湧いてきたら、一度スマホを置いて、一杯の温かいお茶を淹れてみてはいかがでしょうか。

ただ、お茶の香りを嗅ぎ、温かいお湯をすする。

窓の外の雲が流れていくのを、ただぼんやりと眺める。

「明日は仕事だな」「あの用事を済ませなきゃ」という考えが浮かんできても、無理に消そうとせず、「そうやって焦っている自分がいるな」と受け流して、またお茶の温かさに意識を戻します。

それは決して「無駄な時間」ではなく、常に何かに追われているあなたの心を静かにリセットする

とても尊い時間になるはずです。

私たちは、毎日を一生懸命に生きているからこそ、休むことにも意味や結果を求めてしまいます。

けれど、時々は「何もしないこと」を自分に許してあげてもよいのかもしれません。

意味がなくても、成果がなくても、ただそこにいて、息をして、のんびりしている。

それだけで、あなたの休日はもう十分に「有意義」なのですから。今度の休日は、どうか安心していっぱい「無駄」を楽しんでみてくださいね。

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