「大変優秀なんですよ」とほめられたアナウンサーの羽鳥慎一さんが、こう返していました。
「私、立教落ちてるんですよ」
十月十一日放送のBS-TBS「関口宏の三人寄れば」でのひとことです。現役のときに不合格で、一年の浪人を経て早稲田大学に進んだそうです。
「塞翁が馬」は、待つための言葉として使われる
こんな話を聞くと、思い出す言葉があります。「塞翁が馬(さいおうがうま)」です。
中国の『淮南子(えなんじ)』という書物にある話です。
国境の砦の近くに住む老人の馬が、逃げてしまいました。人々がなぐさめると、老人は「これが福にならないとも限らない」と言います。
やがて馬は、よい馬を連れて帰ってきました。今度は息子がその馬から落ちて、足を折ります。
ところが一年後、戦が起きて、多くの若者が命を落としました。足をけがした息子は戦に出ずに済み、親子は無事でした。
人生の幸・不幸は、そのときには決められない。そういう意味の言葉です。
この言葉を口にする人は、「だから一喜一憂しない」という話をすることが多いように思います。
「よいことのあとには悪いこともあるから、気を引き締める」という人もいます。座右の銘にしている人も、何人か知っています。
自分も、現役では大学に入れなかった
私も、現役では大学に入れず、浪人しました。浪人した年も前期の試験では合格できず、後期の試験で国立の大学に進みました。
入ってみて思ったのは、「何のために勉強して、大学に入ったんだっけ」ということです。親に言われるがままに進んだ結果でした。
でもそこで、お酒を覚えて、仲間と遊びました。
真面目一辺倒から少し外れたことで、人生の考え方の幅が大きく広がりました。それは、その後の人生にも生きています。
親に言われて進んだ道も、その後の糧になっている。それも自分の人生だと思っています。
塞翁が馬で言えば、ちょうど「禍が福になった」話です。
それでも私は、この言葉に、少し違和感があります。
どちらが来るか分からないから、一喜一憂しない。それは、なんだか面白くない、と感じるのです。
選んだ道を、自分で正解にしていく
大学では、自分を理解しようと、本をたくさん読みました。
大きく影響を受けたのが、飯田史彦さんの『生きがいの創造』です。
起こることはすべて、自分が自分に課した課題だ。私はこの本から、そういう考え方を受け取りました。
まわりへの不満ばかり考えていた自分から抜け出す、大きな転換点になりました。
そのあとは、スティーブン・R・コヴィーの『7つの習慣』を手もとに置き、「主体的であること」を大事にしてきました。
この本では、何かが起きることと、それにどう応えるかのあいだには、自分で応え方を選ぶ自由がある、と説かれます。
塞翁が馬は、起きたことが福か禍かを、待って見届ける言葉です。
『7つの習慣』は、起きたことにどう応えるかは選べる、と言います。向きが、反対なのです。
空気を読みすぎる自分が、動けるようになった
私には、まわりの空気を読みすぎてしまう傾向があります。それを知ってからは、主体性をもって意見を言うようにしました。
考えすぎて動けなくなりそうなときは、「思い立ったが吉日」と、思いつきでも動くことにしました。
その結果、人生をずいぶん楽しめるようになったと思います。
職場が変わっても、転職しても
前の職場では、ひとつの部署に七年、別の部署に九年いました。
職場が変わることも、自分が自分に課した課題として受け入れました。前向きに取り組んで、力をつけました。
転職を決めたときも、同じです。自分の力を信じて、いまに至っています。
子育てでも、選択の連続でした。責任が自分にかかるように進めてきたので、いまも自分の選択に自信を持っています。
過去は、起きたこととして理解する。悲観的に考えることは、なくなりました。
迷っていることに、今日ひとつだけ手を足す
選んだのは自分なのだから、あとは選んだ道を、自分で正解にしていく。私が大事にしたいのは、この向きです。
明日ひとつだけ、試してみてください。
考えすぎて止まっていることに、ひとつだけ手を足す。
返事を出していないメール、聞きそびれていること、申し込みかけてやめたもの。思い立った日に、ひとつだけ動かしてみる。
正解かどうかは、選んだあとの動き方で決まっていきます。
羽鳥さんの「私、立教落ちてるんですよ」を聞いて、自分の浪人の一年を思い出しました。
振り返って、自分の選んだ道に、後悔はありません。

