日曜の夜です。
子どもは風呂に入って、洗い物も終わりました。特に何もなかった一日でした。
スマホを開くと、みんな出かけています。海、動物園、祖父母の家。
うちは、家にいました。
「今日、何もしてないな」と思いながら、画面を閉じます。
二度流れて、三度目に会えた
昨日、横浜スタジアムでTUBEの夏のライブがありました。通算三十七回目だそうです。
そのアンコールに、松山千春さんがサプライズで登場しました。八月に腎臓結石の手術を受けたばかりで、退院してから初めて人前に出た日でした。そろいの短パン姿だったそうです。
ただ、この共演には続きがあります。
過去に二度、同じ計画が流れていました。どちらも松山さんの入院が理由です。三度目に、やっと実現しました。
「ありがとう」は、もともとお礼の言葉ではありませんでした
ここで、言葉の話をひとつ。
「ありがとう」のもとの形は「有り難し(ありがたし)」です。
「有り」+「難し」。つまり、存在することが難しい。めったにない、という意味でした。
古文ではこちらが主な意味です。『枕草子』にも「ありがたきもの」という段があって、めったにないものが並べられています。
感謝の意味は、あとから生まれました。仏の慈悲のような、めったにない尊いものへの気持ちから移っていった——とされています。移り方には諸説あります。
さて、ここからが気になるところです。
「ありがとう」は、相手に向かって言います。してもらったことへの返事だからです。
でも「ありがたし」は違います。めったにないな、と自分の中で気づいた。それだけです。
相手がいなくても言えます。
何も起きなかった日ではなく、流れなかった日
日曜の夜に戻ります。
「今日、何もしてないな」。
でも、二度流れた共演の話を知ったあとだと、少し見え方が変わります。
子どもが熱を出せば、流れます。仕事の呼び出しがあれば、流れます。誰かが怪我をすれば、流れます。
今日は、そのどれも起きませんでした。
起きるほうが難しいことが、たまたま起きなかった。そういう一日でした。
三十七回目のライブも、二度流れた共演も、同じことだと思います。そろわないほうが普通で、そろったから舞台になった。
何もなかった一日というのは、正確には「何も起きなかった日」ではありません。流れなかった日です。
今日、ひとつだけ
今日ひとつだけ、してみてほしいことがあります。
寝る前に、今日「流れなかったこと」をひとつ思い出す。
できたことではありません。流れなかったことです。
熱が出なかった。電車が止まらなかった。約束が延期にならなかった。
できたことを数えると、足りないところが目につきます。でも流れなかったことを数えると、起きるほうが難しかったのに起きた、が見えてきます。
言葉にしなくてかまいません。「ありがたし」は、もともと一人で言う言葉でしたから。
三度目にやっと実現した舞台と、何もなかった日曜日は、たぶん同じ種類のものです。
どちらも、有ることが難しかった。
今日が過ぎたことも、めったにないことのうちです。


