子どもが寝たあと、スマホで通信講座の広告を見ていました。
資格でも、語学でも、なんでもよかったんだと思います。
料金と期間を見て、頭の中で計算しました。いま始めて、身につくのは何年後か。
そして、そっと閉じました。
四十九歳の誕生日に、こう言った人がいます
昨日、氷川きよしさんが誕生日にコンサートを開きました。四十九歳です。
舞台の上で、こう言ったそうです。
「四十九歳になってしまいました。でも、今が一番若いと思っています」
デビュー曲を含めて二十七曲。ツアーは、来年の二月まで続きます。
三段のどれにも「次がある」と書いてある
江戸時代に、佐藤一斎(さとう いっさい)という儒学者がいました。その著書『言志晩録(げんしばんろく)』に、こんな一節があります。
少にして学べば則ち壮にして為す有り
壮にして学べば則ち老いて衰えず
老いて学べば則ち死して朽ちず
若いときに学べば、働き盛りに為すことがある。働き盛りに学べば、老いても衰えない。老いて学べば、死んでも朽ちない。
少年、壮年、老年。三段に分けて書かれています。
ここで、ひとつ気づきます。三段のどれにも「則ち」がついている。どの段から始めても、そのあとに続きがある、という形になっています。
「ここから先は無い」という段が、ひとつも用意されていません。
そしてもうひとつ。この一節を書いたとき、佐藤一斎は六十七歳を過ぎていました。「老いて学べば」を、老いた本人が書いています。
締め切りを書き込んだのは誰か
冒頭の、閉じた広告に戻ります。
あのとき計算したのは、「身につくのは何年後か」でした。
でも、その計算には締め切りが入っていました。何歳までに身につかないと意味がない、という線です。
その線を、誰が引いたのか。
募集要項には書いてありません。講座の説明にも、年齢の上限はありませんでした。
書き込んだのは、たぶん自分です。
佐藤一斎の三段には、その線がありません。少・壮・老と並べて、どこにも「ここまで」を置かなかった。老いてからでも続きがある、と書いた。
「もう遅い」という段は、もともと無いものだった——ということかもしれません。
今日、ひとつだけ
今日ひとつだけ、してみてほしいことがあります。
「いまさら」と思って閉じたものを、ひとつだけ、閉じずに残しておく。
始めなくていいです。申し込まなくていい。
ブックマークに入れるだけ、開いたタブをそのままにするだけで十分です。
やることを増やす話ではありません。消さない、というだけの話です。
閉じてしまうと、次に思い出すまでにまた何年かかかります。残しておけば、気が向いた日に目に入ります。
「今が一番若い」は、慰めではないと思います。
年齢は、過ぎた側から数えれば増えていきます。これから側から数えれば、今日がいちばん若い。
同じ一日を、どちらから見るかだけです。


