「あれ、どうなりました?」
そう聞かれた瞬間、まだ何も決まっていないのに、口が勝手に動きました。
「たぶん、来月には——」
席に戻ってから、なんであんなことを言ったんだろうと思いました。来月の根拠は、どこにもありません。
その一言が、夜になって戻ってきます。
決まっていないことを、決まっていないまま出した
先週、七人組のグループWEST.から、二人が脱退すると発表がありました。
ただ、その文面が少し変わっていました。
残る五人がこれからどうするかは、「協議中」と書いてあったのです。解散とも、続けるとも書いていない。
こういう発表は全部決まってから出るものだと、こちらは思っていました。言い切ったほうが記事にもなりますし、聞くほうもいったん落ち着きます。
それでも、空欄は空欄のまま出ました。
荘子は「ある」とだけ置いておけ、と書いた
いまから二千年以上前の中国に、荘子(そうじ)という人がいます。その本の中に、こんな一節があります。
「六合(りくごう)の外は、聖人存して論ぜず」
六合とは、天地と四方。つまり、この世界のことです。
世界の外側のことについて、すぐれた人は「ある」とだけしておいて、論じない。荘子はそう書きました。
面白いのは、「無い」とは言っていないところです。分からないから存在しない、ではありません。あることは認めたうえで、中身は決めない。
続きにはこうあります。世界の内側のことは論じるけれど、是非を決めつける議論まではしない、と。
分からないことを、無いことにもせず、決めつけもしない。ただ「ある」と置いておく。
荘子はそれを、聖人の態度として書いています。
二択だと思っていました
冒頭の「たぶん、来月には」に戻ります。
あのとき、頭の中は二択でした。ごまかすか、それらしく言い切るか。
「分かりません」と答えるのは、そのどちらでもなく、なんとなく負けのような気がしていました。仕事ができない人の返事に聞こえる気がして。
でも荘子の並べ方だと、道は三つあります。無いことにする。決めつける。そして、あると置いておく。
三つ目は、逃げではありません。
「まだ決まっていません」と言うには、決まっていないという事実を、自分が引き受けていないと言えないからです。ごまかしは、引き受けていない。言い切りのほうも、引き受けたふりです。
引き受けている人だけが、空欄を空欄のまま渡せます。
明日、ひとつだけ
明日ひとつだけ、試してみてほしいことがあります。
答えを持っていないことを聞かれたら、「まだ決まっていません」で、いったん止めてみる。
そのあとに「たぶん」「おそらく」を足さない。ここが難しいところです。空白が怖くて、つい何か置きたくなります。
代わりに足していいのは、いつ分かるかだけ。「まだ決まっていません。来週には見えると思います」。
決まっていないことは、そのまま渡していい。渡せないのは、決まったふりのほうです。
二千年前の人が、これを聖人の態度として書き残しました。
つまり昔から、みんなここで困っていたということです。
空欄のまま出すのが下手なのは、たぶん、あなただけではありません。


