三時間煮込んだシチューを出したら、「いつものカレーがよかった」と言われました。
三時間です。
何も言わずに食器を下げました。べつに怒ってはいません。ただ、少しだけ、何か言ってほしかった。
世界で初めての賞に、十三歳の息子は「あ、そう」と言いました
九月十二日、市川團十郎さんの親子同時襲名を追ったドキュメンタリー映画『襲名』が、ベネチア国際映画祭で賞を取りました。日本の作品では初めてだそうです。
受賞を聞いた長男の新之助さん、十三歳。反応はこうでした。
「あ、そう」って(笑)何も感じてないと思う。彼はそういう所に執着がない
團十郎さん本人が、会見でそう話しています。
「執着がない」は、仏教ではほめ言葉です
執着は、仏教の言葉です。読みは「しゅうじゃく」。
物事や人に、心が強く囚われて離れられない状態のことをいいます。
仏教はこれを、苦しみの原因だとします。
世の中のものは、全部変わり続けます。それなのに執着した心のほうは、「変わってほしくない」と願い続ける。その願いと現実のズレが、そのまま苦しみになる。
團十郎さんはたぶん、「無関心なんですよ」くらいの軽さで言っています。
ただ、この言葉が指しているのは、仏教がずっと離れようとしてきたものです。
引っかかっていたのは、こちらのほうでした
三時間煮込んだこと自体は、もう終わっています。おいしくできたことも、事実として終わっている。
なのに、こちらの心のほうは終わっていませんでした。
「すごいね」と言われるところまでが、ひとつづきのつもりだったのだと思います。そこが来なかったから、残りました。
子どものほうは、シチューにもカレーにも囚われていません。今日おなかがすいていて、カレーの気分だっただけです。明日はシチューがいいと言うかもしれません。
新之助さんの「あ、そう」も、たぶん同じです。父の快挙が軽いのではなく、まだ何にも引っかかっていない。
今日、ひとつだけ
今日ひとつだけ、やめてみてほしいことがあります。
「すごいね」を待つのを、一回だけやめる。
言わせにいかない。「どう?」と聞かない。感想が来なくても、そのまま下げる。
動作は、たぶん今までと同じです。変わるのは、待っているかどうかだけ。
これは我慢ではありません。待っていたものが無くなるだけなので、むしろ軽くなります。
三時間煮込んだことは、言われなくても減りません。減るのは、こちらが「減った」と思ったときだけです。
新之助さんの「あ、そう」を、團十郎さんは笑って話していました。
うちの子は、明日もカレーがいいと言うと思います。
三時間煮込んだことは、それでも減りません。


