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伝わる日より、伝わらない日のほうが多いです

子育て

日曜日に、公民館でダンスのお披露目がありました。

朝は、髪のセットから始まります。一人につき四十分ほど。髪を編み込んで、スプレーとワックスで固めていきます。

子どもたちの顔には、お化粧と、キラキラのラメ。

そのあいだに、朝ごはん、皿洗い、お茶の用意、ズボンの購入。家族で手分けして、出かけるところまで持っていきます。

本番の前に、子どもに考えてほしいこと

この日も、下の子にはこう言いました。

「周りをよく見て、合わせて行動するんだよ。自分勝手しない」

ふだんから、周りを見て学ぶクセをつけてほしくて、何度も声をかけています。

ダンスの日は、子ども自身に考えてほしいことがいくつもあります。髪のセットにどれくらいかかるか。衣装はそろっているか。自分の立つ位置は、頭に入っているか。

先の予定から逆算して、いま何をするかを決める。親には、経験からなんとなくの目安があります。でも子どもには、その経験がまだ少ない。だから難しいのです。

伝わる日より、伝わらない日のほうが多い

ダンスの日だけではありません。ふだんの朝も、決まった時間までに用意ができない。

毎日、いろいろな角度から注意したり、タイマーを仕掛けたり、声をかけたりして促しています。

それでもスムーズにいく日もあれば、全然うまくいかない日もあります。むしろ、うまくいかない日のほうが多いくらいです。

上の子は、おおむねうまくいきます。言ったことが伝わる。

下の子は、伝わらないことが多い。考えてほしいのに、届かない。そういう日が続きます。

千二百年ほど前の、ご飯の詩

中国の唐の時代、いまから千二百年ほど前に、李紳(りしん)という詩人がいました。のちに宰相までつとめた人です。

李紳に「憫農(びんのう)」という詩があります。農民を憫(あわ)れむ、という題です。その二首目の意味をとると、こうなります。

日が真上にのぼる昼、作物の根もとを耕す。汗がしたたって、その下の土に落ちる。

お皿のご飯の一粒一粒が、みな辛苦(しんく)からできていると、誰が知っているだろう。

この最後の句にちなんだ四字熟語が「粒粒辛苦(りゅうりゅうしんく)」です。穀物の一粒一粒には、作った人の苦労がこもっている。そこから、こつこつと苦労を重ねることにも使われます。

香港では、小学校の低学年に薦める詩のひとつに選ばれています。ご飯を粗末にしないように、と教えるときの詩でもあります。

「誰が知っているだろう」の一句

この詩で、私がいちばん引っかかったのは「誰が知っているだろう」の一句です。

ご飯を食べる人に見えるのは、お茶碗の白いご飯だけです。昼の畑に落ちた汗は、見えません。

ダンスのお披露目も、少し似ています。見に来た人に見えるのは、踊っている姿です。一人四十分の髪のセットも、そのあいだの皿洗いも、「周りをよく見るんだよ」の一言も、見えません。

見えないところに、いちばん手間がかかっている。そこは、畑も子育ても同じです。

伝わらなかった日も、一粒に入っている

先日、歌手の小林幸子さんが、東京農業大学のキャンパスで、小学生と稲刈りをしたというニュースがありました。

六月に、自分で田植えをした田んぼだそうです。大学の前を通るたびに育っていくのを見ていて、大雨のときは心配した、と話していました。

それを読んで、一粒の中に入っているのは汗だけではない、と気づきました。気にかけて、見ていた時間も入っている。

ここからは私の受け取り方ですが、下の子に伝わらなかった朝も、同じだと考えています。届かなかった声かけは、消えてなくなったわけではない。見守った時間として、一粒の中に入っている。

稲は、一日では実りません。子どもが自分で逆算できるようになるのも、一日ではありません。

うまくいかなかった朝を、失敗の数に入れない

明日ひとつだけ、試してみてください。

うまくいかなかった朝を、失敗の数に入れない。

声をかけても伝わらなかった。タイマーが鳴っても動かなかった。そういう朝は、つい「今日もだめだった」と数えてしまいます。

でも、その朝も、見守った一粒です。数えるなら、失敗のほうではなく、見守った日のほうに入れておく。

そう数え直すと、次の朝の声かけを、少しだけ軽い気持ちで始められます。


夫婦で、話していることがあります。

つらいことも、苦しいことも、いつか振り返って「よかったね。あの時頑張ったね」と言えるように。

いつか子どもたちが巣立つときに、きっと言うことになる言葉です。

あの日の四十分の髪のセットも、伝わらなかった一言も、そのときのための一粒だと思っています。

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