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言葉を慎重に選ぶうちに、まっすぐ言えなくなっていました

雑学・学び

若い人の言葉を聞いていて、最近思うことがあります。

言葉選びや、言葉の運び方は、まだ弱い。自分と比べて、つい、そう感じてしまいます。

それと同時に、若い人は、きっぱり言います。そのスタンスを、ちゃんと持っています。

慎重に選ぶうちに、まっすぐ言えなくなっていた

逆に考えてみました。

社会人としての年数を重ねるうちに、言葉を慎重に選ぶようになりました。選ぶこと自体は、悪いことではないと思います。

ただ、慎重に選ぼうとするあまり、ストレートな物言いができなくなってきている。そう感じています。

言葉を選びすぎると、前置きが長くなったり、言いたいことがあとに回ったりします。長く働いてきた人ほど、思い当たるかもしれません。

若い人の言葉の弱さが見えるのは、こちらが年数を重ねたからです。

でも、きっぱり言うところは、こちらがどこかで置いてきたものだと思います。

「何度も注意された」人が、二十年後に出した本の題

話し方を直された人の、二十年後の話があります。

十月三日、佐々木希さんが、芸能生活二十年を記念した初めてのフォトエッセイの会見を開きました。

いちばんつらかったこととして、上京したころのことを、こう振り返っています。

お仕事させていただいても、秋田弁が抜けなくて何度も注意されたこともあった

二十年やってこられたのは、昔の自分からすると奇跡だ、とも話していました。

本には、上京後の孤独から、芸能界は向いていないと辞めようと思ったころのことも書かれているそうです。

本の題は『Natural』です。

『菜根譚』の「ちょうどいい」と「本来のまま」

『菜根譚』(さいこんたん)という本があります。

中国の明の時代の終わりごろに、洪自誠(こうじせい)がまとめた、生き方についての短い言葉の集まりです。

儒教・仏教・道教の考えがまざっていて、三百五十あまりの短い条が並んでいます。

その中に、こんな一節があります。

文章は極処に做し到れば、他の奇有ること無く、只だ是れ恰好なり。
人品は極処に做し到れば、他の異有ること無く、只だ是れ本然なり。

文章も、極めていくと、奇抜なところはなくなり、ただちょうどよいだけになる。

人柄も、極めていくと、変わったところはなくなり、ただ本来のままになる。

ここでの「恰好」は、見た目のことではありません。「ちょうどよい」という意味です。

こちらがもとの意味で、形がちょうどよい、というところから、姿や形を指すようにもなりました。

言葉選びにも「ちょうどいい」がある

前半の「文章」を、ふだんの言葉に置き換えて読んでみます。

極めた言葉は、特別な言い回しではない。ちょうどいいだけ。

若い人の言葉は、選び方がまだ足りない。こちらの言葉は、選びすぎて、言いたいことが奥に引っ込んでいる。

足りない側と、多すぎる側。ちょうどいいのは、たぶん、その間です。

しかも菜根譚の「ちょうどいい」は、飾りを足していった先ではなく、余計なものがなくなった先にあります。

後半の「本来のまま」は、かつての自分のことだと思って読みました。

言葉を慎重に選ぶようになる前の自分は、もっとまっすぐ言えていたのだと思います。

若い人にも、かつての自分にも、学ぶところがあります。

言いたいことは、最初の一文で

明日、何かを伝えるとき、ひとつだけ試してみてください。

言いたいことを、最初の一文で言う。 言葉を選ぶのは、そのあとでいい。

若い人のきっぱりした言い方を、ひとつだけ借りるつもりで。

選ぶ力を手放す必要はありません。年数をかけて身につけたものです。変えるのは、順番だけです。

最初の一文がまっすぐなら、そのあとに続く慎重な言葉は、飾りではなく、支えになります。


佐々木希さんの本の題は『Natural』でした。二十年かけて、本来のままに近づいていく。そう読むこともできます。

言葉も、たぶん同じです。選び方を覚えたうえで、まっすぐさを取り戻す。それが、ちょうどいい、なのかもしれません。

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