この連休に、両親を車に乗せて出かけました。
もともとは、旅行に誘ったんです。そうしたら、去年取り壊した実家の跡地が見たい、と。
両親は車を手放しています。自分たちでは、もう行けません。
十八年やったフェスを「終える」人が、最後の年に掲げたモットー
小籔千豊さんのことは、前から好きでした。「コヤブソニック」という音楽フェスの名前も、何度か耳にしていました。
そのコヤブソニックが、今年で終わります。二〇〇八年に始まって、最後の開催が今週です。吉本興業との専属契約も、年内で終えるそうです。
理由は「死ぬとき後悔せんように」。
その最後の年に、本人が掲げたモットーがこれでした。
去年と何も変わらないのをモットーに
「道とは何か」と聞かれて、南泉はこう答えました
『無門関』という禅の本に、こんな問答があります。
趙州という僧が、師の南泉に聞きました。「道とは何ですか」
南泉の答えは、これでした。
平常心是れ道
ふだんの心が、そのまま道だ。
悟りは遠い目標の先にあるのではなく、日常のありふれた心そのものである。そういう意味です。平常心是道(びょうじょうしんこれどう)といいます。
もとは馬祖道一という僧の言葉で、そのあとの禅の考え方の土台になりました。
更地に、雑草が生い茂っていました
三十年ほど前は、盆と正月に祖母の家へ行っていました。両親の実家です。去年取り壊されて、更地に雑草が生い茂っていました。
町並みには覚えがありました。ただ、どの建物も古いです。過疎が進むというのは、こういうことかと思いました。
町に残っていた古い小学校は、父が通ったところです。近く、ほかの小学校と統合されます。
母が通った高校は、去年、閉校していました。八十四年の歴史があったそうです。
実家は更地。母の高校はもうない。父の小学校も、もうすぐない。
両親が「見たい」と言った場所は、そういう状態でした。
旅行のほうが、たぶん楽しかったと思います。写真も残ります。それでも両親が選んだのは、特別な体験ではなく、三十年前にふつうにあった場所でした。
四年前、祖母の葬式に行けませんでした
跡地を見に行くなら、墓にも参ろう。そう言ったのは、こちらです。
祖母が亡くなったのは四年前です。コロナで、葬式に行けませんでした。先祖の墓にも、そのまま行けずにいました。
母方の墓に参りました。三十年ぶりです。子どもたちは、初めてでした。
今日、ひとつだけ
無くなる前に行けたのは、たまたまです。両親が言い出さなければ、旅行に行っていました。
今日ひとつだけ、やめてみてほしいことがあります。
こちらが用意した「特別」を、一回だけ引っこめる。
旅行でも、外食でも、贈り物でもいいです。出す前に、行きたい場所をひとつ聞いてみる。
返ってくるのは、たぶん地味な答えです。近所の店とか、昔住んでいた場所とか。それでも、こちらが用意したものより、ずっと具体的です。
小籔さんの「去年と何も変わらない」も、手を抜いているのではないと思います。十八年と同じ強さで、もう一回やる。それを最後の年にやる。
南泉の答えも「特別な心を持て」ではありませんでした。ふだんの心が道だ、と言っています。
子どもたちは、あの町に行ったことがありませんでした。両親は、自分の車ではもう行けません。
特別な日にしよう、とは誰も言いませんでした。無くなったものと、無くなる予定のものを、順番に見て回っただけです。
寂しさはありました。それ以上に、あの町に行けたことが嬉しかったです。三十年ぶりに、両親と、子どもたちと。


